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お金を払って勉強しているうちはお客さんに過ぎず、お金をもらってする勉強こそ本当の勉強だ、と私は常々思っています。
これまでの経験の中でも、読売新聞社の英字新聞部での一年間ほど濃密に学んだ期間はないと思います。フリーランス翻訳者として一年ほど経過したころ、デイリー・ヨミウリの翻訳者募集広告を見つけ、自分がどの程度通用するのか「試してみたい」という欲求に駆られ、応募。この一通の履歴書から、さあ、どんな世界が開けたでしょうか。
夜打ち朝駆けの伝統
オフィスに一歩入ると、喧騒に近い光景。時間との戦いの中、熱気が湯気のように人の頭からも各PCからも立ち上っています。いつも2、3人だれかがバタバタ走っていて(歩いていられないから)、ときに怒鳴っている人がいても驚いてはいけません(なり振りかまっている場合じゃないんだ)。
「バンカラの気風」は一朝一夕に成らず。ふつう新米の新聞記者は警察周りから始めるそうで、もちろん女性記者も同じだそうです。叩き上げの取材記者たちはもとより、時間とにらめっこで細かいミスさえ許されない作業をする内勤も、自然お上品にはしていられない世界。伝統の社風は英字新聞部にまで及んでおり、一般企業からの転職組みの翻訳者は慣れるまで戸惑うこともあります。
締め切りが一日4回
外国のニュースはAP, ロイター等外電をそのまま使います。この点英字は翻訳要らずです。国内ニュースは日本語の新聞がカバーしているので、だぶって取材することはせず、英訳して使います。在日外国人独特の話題になると、取材してオリジナル記事を書くこともあります。
新聞はニュースだけでなく、評論や特集のページもあります。Books, Science, Art等の特集ページはある程度の期間ネタ集めをして紙面を構成します。しかし、もちろん、ニュースは毎日流れ込むものを毎日入れて作ります。
私が在籍していたのは十年以上も前のことですが、当時英字新聞部の大半を占めていたのは翻訳者とリライタで、それぞれ同数くらいいました。仕事の流れの大筋は今も同様のようです。
外国のニュースは、まず早番のリライタが山ほどの外電を裁いて仕分けします。掲載されないニュースのほうが多いのが現実です。
翻訳者の出番は国内モノです。出勤するとまず翻訳デスクから日本語の読売新聞からピツクアップした記事が渡されます。「はい、これ」と渡されたら、そこからヨーイ、ドンで翻訳開始です。
リライタと翻訳者の中から何人かが日替わりで各ページの編集を担当します。一面担当さん、二面担当さん、とこれらの人たちは面担(メンタン)と呼ばれ、各人巨大なマックのディスプレーの前に座っています。紙面のデザインや見出しには面担のセンスが発揮されます。外電、翻訳記事とも確認の後、行くべき面のマックへ送られ、面担の割り当てたスペースに流し込まれます。ご存知のように英文記事は逆ピラミッド型構成、つまり重要性が高い内容ほど上の段落に、低いものほど下に書かれます。その記事用のスペースに収まらなければ、はみ出た分は単純に下から切られます。見出しをつけるのも面担の大事な仕事です。文句自体が的を射て、キマッていると同時に、仕切った長方形の幅に丁度ぴったりあう長さにせねばなりません。長すぎたら入りませんが、短すぎて右側が少し余るのも、とてもみっともないこととされています。
紙面ができたら、試し刷り。各ページの刷りが集まり、部長のOKが出たら完了。あとは印刷部門に任せておしまいです。めでたし、めでたし。
と、喜ぶのはまだ早い。私がいた当時は三版でしたが、現在では東京23区版、それ以外の関東版、関西版、その他全国版の四版あるので、一日四回締め切りに追いまくられるわけです。
翻訳というより整形工事
普通の翻訳とはかなり様相を異にします。日本語の記事を下敷きにして英文記事を作成する、という感じです。最終的に事実関係が間違っていず、英文記事としてよく書けていればそれでいいのです。普通翻訳は原稿を頭から順に訳していきますが、新聞ではそうしなくてもよい、というよりそれではまずい場合が多いので、構成に多少手を加えることもします。また、情報を足したり引いたりも必要とあらば遠慮なくやります。翻訳というより整形工事です。
実際にちょっとやってみましょうか? 以下に典型的な日本語の新聞記事のスタイルをまねて、一つ記事を創作してみました。
「X日午後2時50分ごろ、東京都X区X町X丁目のショッピング施設「ジャット・スクエア」の正面入り口で、会社員○○△△さん(38)の長男○○君(5)=神奈川県XX区XX町X丁目=が、つまずいて転んだ。○○君はひざと手のひらを擦りむいたが、近くにいた母親が携帯していた消毒スプレーと絆創膏で応急手当したところ、間もなく泣き止んで、痛みも治まったという。
入り口の手前には段差があり、このためにつまずいたのではないかと母親と近くにいた人たちは見ている。入り口近くのガードマンの証言では幼児だけでなく、高齢者も同じ箇所でよくつまずくという。
段差部分の床は、全体が均一なクリーム色で、格子模様が入っているため、目立ちにくい。「特に午後の光が当たると反射で見えにくい。」と、ガードマンは言う。
今回は擦り傷で済んだが、特に骨密度の薄い高齢者では転倒から骨折等重症の怪我を招きかねない。今後は公共の建物に段差を設ける必要がある場合、見えやすさへの配慮が一層求められそうだ。」
本当は転んだぐらいでニュースにはなりませんよね。こんな話が新聞に載るくらい平和な世の中になることを祈りながら書いてみました。さて、内容よりも記事の書き方に注目していただき、これをいかに整形工事すべきか考えてみましょう。
リードを作る
リードに50%のエネルギーを使え、と翻訳デスクに教えられたものです。リード(英文記事の場合、第一段落のこと)の考え方が日本語の記事とは違います。英文記事ではリードには、それをしてニュースならしめたところのものを要領よくまとめないといけません。
だから上の記事を頭からそのまま訳すわけにはいかないのです。リードには核だけを取り上げて、細かい情報は二段落、または三段落へと落としていきます。
上のサンプル記事に取りかかる前にリードだけの練習を少しやってみましょうか。ここでは本当に新聞に掲載された記事を使ってみます。デイリー・ヨミウリで毎日翻訳していたのはもちろん読売新聞の記事でしたが、英文記事との比較における日本語の記事の特徴という面では他の新聞も大差ありません。試しに朝日新聞3月27日付け朝刊の一面トップに掲載された記事を取り上げます。「強制連行 国に賠償命令」と題され、「安全管理、不十分」とサブの見出しが付けられています。前書きは以下のように始まります。
「第2次大戦中に中国から強制連行され、新潟港で強制労働をさせられたとして、中国人男性10人と、死亡した男性1人の遺族が、国と港湾輸送会社「リンリーコーポレーション」(新潟市)に計2億7500万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が26日、新潟地裁であった。」 *
この前書きは三つの文から成り立っていました。上の第一文では、判決があったとだけ言っていますね。トップを飾る記事ですし、日本語の記事としておそらく正しい作法に則って書かれているのだと思います。しかし、英文記事を作成する場合このまま訳すわけにはいきません。転記は省略しますが、上の前書きの第二文には判決の根拠の説明があり、そして第三文にやっと「支払うよう命じた」という判決内容が登場します。英文記事のリードとしては、例えば次のようにするのが順当でしょう。
A court on Friday ordered the government and a company that used Chinese slaves in Niigata during World War II to pay 8 million yen to each of 11 plaintiffs in a suit filed by the forced laborers and their representatives. The company and the state failed to ensure safety for the workers, the court said.
日本語の第一文に載っていた情報で英文リードに入れなかったものがあるのは、二番煎じの重要性しかないからです。英文記事のリードは話の中心を捉え、リードだけ読めば全容がわかるように書きます。最初のうちはこれがむずかしくてなかなかできませんでした。
足したり引いたり
原文には書いてなくとも、想定読者が必要とするであろうと考えられる情報は足します。また、書き方の作法として加えるフレーズもあります。例えば、「世界最古の木造建築」、「世界最大の海底金脈」を訳すときは、"believed to be" の一句を足します。現在人間にわかっている範囲内で、という断り書きです。allegedly, reportedlyの副詞も適宜挿入します。
「足す」はまだいいとして、「引く」のはどういうこと? とお思いでしょう。実は削るのが正しい場合があります。上の創作記事を例にとると、最後の段落です。ニュースであるはずなのに突然解説的なコメントが挿入されています。現役時代「今後ますますXXの傾向が強まるようだ。」とか、「この流れからXXが期待できそうだ。」というような締めに出会ったときは困りました。こういう部分をまじめに訳してもリライタに切られるのが落ちです。これ、だれがそのような推測をしているのでしょうか。もし取材した相手のコメントであれば、XX氏かく語りきと入れることができますし、識者の大半がそういっているという裏書きがあれば、Observers sayと頭につけて入れられないこともありません。しかし記者の私見は入れられません。あと削れるのは、「消毒スプレーと絆創膏」でしょう。情報としての価値が非常に低いからです。
リライタが先生
上記の創作記事を、試しに原文の順番どおり、書いてあることすべてを忠実にそのまま英訳したものを現役米人ジャーナリストに渡し、「普通にやってください」とだけ注文をつけてリライトしてもらいました。
A partially hidden step at the entrance of JAT Square in Tokyo claimed another victim on Sunday as a five-year-old boy tumbled over the outcropping, scratching his knees and palms.
A security guard working near the entrance said children and elderly people have also tripped over the step.
The ground around the step is a cream color with a grid pattern. "The step is especially hard to notice when it reflects the afternoon sun," the guard said.
The boy's injuries were treated by his mother.
リライタ(コピー・エディターとも言われる)は、英語を母国語とするジャーナリズム経験者でした。毎日記事を訳すと、その一件一件がプロに添削されるという実に贅沢な環境に置かれていたわけです。
一件記事を訳したら、翻訳デスクに出して、日英対照チェックが行われます。そこからリライトへ回り、リライトされたものは一旦翻訳者に戻されます。
リライタから戻ってくると、たいてい三分の二から二分の一の長さになってしまいます。それが紙面制限を受ける前ということは、本質的に不必要に長かったということでしょうね。まず書き方の要領が悪いこと。同じ内容が伝わるなら、できるだけ少ない言葉数で言えるほうが優秀なのだということを書き直される度に思い知らされました。また、不要な情報を入れ込んでいたこともあるでしょう。リライタにバッサリ切られた部分をよく見直して、なぜ削るのが是とされるのか考えたものです。
リライト後のものを読んで、必要とあらばリライタと話し合い、もう一度やり直してもらうこともあります。和文英訳を日本人翻訳者とリライタが組んでやる場合、翻訳者がリライトに目を通すことが必ず必要だと私は考えています。
私がいた当時、翻訳者の中に1人だけ米国人がいました。彼の翻訳も少なくともチェックのためにその後数人が目を通していました。リライタという人たちは単に英語が母国語であるというだけでなく文章のスタイリストであり、ジャーナリスティックな文章がどうあるべきか、ある種のニュースにおいてどのような情報を入れねばならず、どう構成すべきかを知っている人たちでした。翻訳ができることと、ジャーナリスティックな文章が書けることは別です。
リライタの間で最もうまいと評判だったのは、日本人でこの道ン十年という翻訳者でした。「本当にアメリカ人ジャーナリストが書くように書く」と言われていました。日本語の記事と英文記事は、考え方、作法、スタイルが違うので、日本語の記事を横目でみながら、単に訳すのではなく、これらの違いを一気に飛び越えて英文記事として読み得るものに仕立ててしまうのは、三段跳びのような技だと思います。
誤植から国賊 !?
翻訳にミスはつきもの。新聞にもミスはつきもの。在籍中に自分の翻訳のせいで会社に「訂正とお詫び」を出させることがなかったのが、私のせめてもの救いです。
戦前は皇室関連の誤植があると、国賊!と右翼が新聞社に殴りこんできたとか。ミスもものによっては「アンタがごめんなさいって言うだけじゃ済まないんだよ」とデスクに脅されたものです。自分のミスのせいで上層部の人を引責辞任に追い込むなんて、一生うなされそうな悪夢です。
失われ得ぬ財産
ふつう翻訳は、原文を忠実に反映しようと努力して行われると思います。文学的文章の場合は原文の香りを残しておくことも求められるでしょう。しかし、ニュースの翻訳に関しては、情報をいかに効率よく伝えるか、という点に尽きます。
日本語の文章の下敷きにある日本的な部分を一旦徹底的にぶちこわして、情報だけを吸い出し、それを日々英語で物を考える人たちの頭に最もスムーズに受け入れられるよう表出し直す―この作業を毎日やらされたおかげで気付いたのは、言葉になる前の段階で、あることを日本人が思いつき、それを日本語により言語化しようとするとき、そして同じことを英語を母国語とする人が思いつき、それを英語により言語化しようとするとき、アプローチがまるで違うのではないだろうか、ということです。
英字新聞部での最高に贅沢な一年間は、いかに自分が英語を知らなかったか思い知らされた一年間でもありました。このとき鍛錬されたものは私の財産として生き続けています。
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