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Updated 2004-02-02
医療と英語
吉森順子

医療施設には大きく分けて病院と診療所があります。しかし、広い意味で医療従事者が医療に携わる場所は非常に多岐にわたります。学校や企業の保健室にホテルのクリニック、移動健診車や献血車、カイロプラティックの個人施設や老人のデイケアーセンター。いわゆる病院と呼ばれるもの以外にも医療従事者から住民がサービスを受ける施設は本当にたくさんあるのです。

医療現場で英語の能力がどの程度必要とされているかというと、日本の国際化によりその潜在的需要はますます増えていると言えるでしょう。日本語を母国語としない外国出身の住民には2通りあります。仕事や勉強で一時的に滞在する住民と、永住目的で日本にいる住民です。私が最初に在籍した医療施設は、ある分野では世界でも屈指の医療機関でした。そのため外国からの研修生や見学者、また遠路はるばる治療目的で来られるケースもありました。そういった一時滞在者は英語や日本語でのコミュニケーションが可能で、教育水準も私のような平ナースよりずーっと高く、施設内通訳ガイドもどきの私は冷や汗をかく場面が多々有り、多くのことを学びました。

一方、ニューカマーと呼ばれる永住予定の住民は日々増加しています。10年程前に現東京女子医大の看護学助教授 [注:1] 李 節子さんの記事に、大阪市内で出生する子供の1割は両親のどちらかがニューカマーであると有りました。文化的背景が違う住民に対する医療サービスは画一的であってはいけないのですが、単に言葉の壁というものだけでもニューカマーにはハンデがあるようです。少数言語しかコミュニケーションをとる手段が無い場合は、医療サービスを受ける段階で既に施す術が無いことも稀では有りません。識字に問題があればさらに状況は困難になります。私が以前勤めていた別の施設は、近くに中国人コミュニティーがあり、院長は簡単な情報収集をする際、中国語(多分北京語?)でコミュニケーションを図っていました。中国語のわからない私は漢字による筆談とジェスチャーで薬の服用方法や湿布薬の取替え時期、次回来院日の説明をしていました。中には字の読めない高齢ニューカマーもあり、置時計片手に必死で薬の服用方法を説明した事もあります。

個人的に一番コミュニケーションが取りやすいニューカマーは日本人を夫に持つフィリピン人妻です。彼女達は教育水準も高く日本語・英語・タガログ語を理解するモータイリンガルで、日本語の説明で詳細な所がわからなかった場合でも、英語で補足説明をすれば、十分な理解が得られるからです。前出の院長も日本語で説明していました(彼は英語も話します!)。また別のケース、私の恩師ベテラン現役通訳者は、ブラジル人コミュニティーが健診を受ける際に通訳者としてお声がかかったのですが、英語は殆ど通じなかったと言う事でした。英語によるコミュニケーションは医療サービスを施す場合非常に有効である反面、コミュニティー医療のレベルでは、万能ツールでは無いようです。

英語が通じる住民の場合でも、満足のいく医療サービスを住民が受けられるとは限りません。私が別の施設に従事していた際、フィリピン人妻の婦人科健診に付き添った事があります。彼女は経産婦でしたが、母国には普及していないサービスに非常にショックを受け、涙を流されていました。夫からは健康診断を受けるから一緒に行こう程度の事前説明しか受けていなかった様子で、帰り際に「もう二度と健診は受けない」と言われました。

  

それとは逆に年2回婦人科検診を受ける中国人婦人も有りました。また、カナダ出身の私の友人が来日まもなく私に尋ねてきたことがあります。「女性の産婦人科医で英語が堪能な人を紹介して欲しい」と言う彼女に、「何処か具合が悪いのか?」と尋ね返すと「19歳以上は毎年婦人科検診を受ける」と言う返事。日本は30歳以上が検診の対象と答えると、「そんな歳までほって置いたら手遅れになる」と返されました。北米・ヨーロッパ諸国からのニューカマーは日本の医療サービスに多かれ少なかれ不満を持っているようです。小児科に長く在籍していたので、先進国出身の母親から、出世以後まもなく男児に施す簡単な外科的処置が日本では標準化されていない事に不満を訴えられる事が何度かありました。ニューカマー人口の多い神戸の一部施設ではその外科的処置を行っているようで、新生児のボディーピアスも可能と聞いたことがあります。日本の医療が真に国際化するにはまだまだ時間がかかりそうです。

これまで長々と医療サービスを受ける場面での英語の需要について述べましたが、次に翻訳者・通訳者の活躍する場面について、幾つかエピソードを交えてお話したいと思います。

短期滞在外国人に対する通訳業務は年々増加していると考えます。短期滞在者の多くは英語によるコミュニケーションが可能なので、施設通訳ガイドもどきの私がその経験から多くのことを学んだと述べましたが、医療に係わる新しい情報を常に持っておくこと、施設の特色と課題や問題点を理解する必要があることなど、当該施設の現役職員であっても非常に緊張する瞬間でした。対象者の出身地の医療についてある程度理解しておく事は必要ですが、解からなければ相手に聞けば済む事です。ところが自分の国の観光名所へのアクセスやお祭りの日程から、男子トイレのウォシュレットの使い方まで説明しなければいけないので、本当に目が回りそうでした。ウォシュレットで少し話がそれましたが。施設案内者は自動ドアや自動手洗い器から臨床検査の精密機器に至るまで説明を必要とされる事があります。限られた時間で、数人から10数人を引率するのは本当に大変な仕事だと感じました。時間を有効に使い最大限施設の概要を理解して頂こうと気合を入れて望んでも1つの物珍しい機器に対象者が夢中になってそれで終わりと言う事になりかねません。しかしながら、対象者のニーズは常に優先されなければいけないと考えますので、ウォシュレットの説明も、血糖測定器の説明も同様に簡潔に出来無ければいけないと感じました。

入院および通院治療を受ける場面での通訳の場合、それが短期間であればある程通訳者としての情報収集能力が問われると考えます。先進国出身者で、帰国後継続治療が充分に受けられる場合は医師間の情報交換で充分な治療結果が得られると考えられますが。そうで無い場合には細かな情報の伝達が必要で、文書による情報伝達の場で通訳および翻訳者の活躍が期待されます。いわゆるセルフコントロールの実現の為に帰国後の生活に合った療養レシピを作る必要があります。いくら素晴らしい外科手術が施されても、術後管理が悪ければ効果は半減します。そこで、医療者側は通訳・翻訳者から患者の文化的・社会的背景の情報を得たいと考えています。また,通訳・翻訳者はどのような情報が有用なのか医療者側から聞き出したいと考えるでしょう。通訳者・翻訳者と完璧ではないにせよ仕事の上でよい関係が構築出来れば医療者側は次の機会も同じ通訳・翻訳者と仕事をしたいと考えるでしょう。日本に永住する外国人であっても有効な療養レシピの作成は重要な位置を占めます。本人がレシピを読めない場合は家族に対する療養レシピが必要です。小児や老人の場合セルフコントロールを担うのはその家族です。現地人(日本人)に看護をする上でもセルフコントロールに向けての援助は困難を要します。通訳・翻訳者をその間に介するのですから外国人へのセルフコントロール援助はさらに複雑になります。

入院患者の場合はどうかというと、患者に関わり始めた時期によって少々異なりますが主な仕事は、病状の説明、必要な治療の説明、いわゆるインフォームドコンセントの現場に関わる必要があるでしょう。常に患者に付き添う事は不可能ですが、上記で述べた事柄以外に、患者やその家族の不安の軽減に一役買うことになるでしょう。文化的な違いや情報の不足から来る不安はマイノリティーにとって不可避な事柄であると考えます。

最後に翻訳技術の需要について幾つか述べたいと思います。医療の現場では日々行われている事柄を研究論文としてまとめる事があります。国際的な学会や、雑誌への投稿をする場合翻訳者の活躍が期待されます。しかも与えられた期間はほんの2日なんて事もあります。期限に余裕があることのほうが少ないと考えます。

雑誌の投稿は別として、学会発表はほぼ時期が決まっているので、スケジュール調整はし易いともいえますが、日本語の文章が出来上がるのがギリギリだったり、出来上がった筈の原稿のデーターが間違っていたり、医療従事者同様、体力を要する仕事のようです。

以前勤めていた施設には、研究棟が併設されており、生命科学に関する研究も行われています。それらの研究をまとめる上でテクニカルライターとしての資質が必要とされる場面もあります。経済的な問題もありますが、研究成果をもとにはじめからテクニカルライターに書いてもらったほうが良いものが出来るという考え方が主流になれば、この分野の翻訳技術の潜在的需要は増えてくると考えられます。

英語で書かれた案内・パンフレット・表示は公共施設でどんどん進んでいますが、未だに遅れている所もあります。例えば、インフルエンザの予防接種の説明や問診表といったものでも、外国語バージョンは見たことがありません。こういった分野にも潜在的需要が隠れていると思います。

現役翻訳者でない私が医療現場での英語の需要について述べました。表現の中に不適切なものがあるかと思いますが、何卒皆様の豊な経験で補足理解していただければ幸いです。

注) 
李 節子(リ・チョルジャー)吉森が卒業した大阪府立看護短期大学(現看護大学)卒の学科違い年長の研究者です。

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