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Updated 2003-07-11
直訳主義(その2)
by 望月 稔

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さて、前回に続いて私の偽悪的な直訳主義なるものについてお話を進めるわけですが、だいぶ間が開いたので皆さんも前回私がどんなことを主張したかお忘れになっているといけないので、そのさわりのところを繰り返すところから始めたいと思います。前回はコロンビア大学のSeidensticker教授の言葉として、あるところに書かれた以下の文章を参照しました。

"I stay as close to the original as I can, but for me it is very important for the translation to read smoothly - in other words, to have a certain literary quality. And that means very frequently in matters of small detail departing from the original. A literal translation cannot be a very literary translation. But I stay as close to the original as I can. My theory of translation is that it is imitation; it is counterfeiting." (以下省略。全記事)

上記の引用に続けて、私は「実に面白いですね。Literal translation (直訳)ではいけないと仰りながらも、できるだけ原文に近い翻訳をするよう心がけると仰り、さらに、原文より良い翻訳にしたなどと言うのは翻訳家の風上にもおけないと言われるのですから。実は、私の直訳主義の意味はまさにそれなんです。また、翻訳とは偽造だと大胆に仰りますが、これについても、私が常日頃、Translation is an art of approximationと言ってきたことと、ほぼ合致します。その心は、私に言わせれば、職業としての翻訳において、翻訳は多くの場合、妥協の産物であると考えるからです。」と申し上げました。

それでは、なぜ私が「翻訳は多くの場合、妥協の産物である」と考えるか、そしてその帰結としてなぜ翻訳は直訳でなければならないと主張するのかについて順次お話しいたします。

私が日頃やっております仕事は、おおむね産業翻訳です。私が産業翻訳と勝手に呼んでいる翻訳とは、科学技術、法律、商工業などに関連する文書の翻訳であり、たとえば科学技術論文、産業製品の取扱説明書、特許に関する文書、訴訟関連の文書、各種の契約書、企業の社内連絡文書、社内規則、商品広告などの翻訳であり、JAT会員の皆様が先刻ご承知のものばかりです。しかし、翻訳なるものに日頃関係のない一般の方たちが、翻訳と聞いてまず頭に浮かべるのは、テレビのドラマなどに出てくる、童話や小説の翻訳などをなさっている若いご婦人方の作業ではないでしょうか。ですから、まず、小説の翻訳をとりあげてみましょう。

小説の本題は人間の喜び、悲しみ、欲望や生と死の問題をとりあがるという点では、地球上のどこに住む人にも理解できるという面もありますが、それらを骨格としますと、それらのテーマを肉付けして、読者を惹きつけるものは、むしろ、それらの背景となるものであるといって良いと思います。それどころか、背景となる地域性、特有な文化や歴史の叙述にこそ、小説の醍醐味があるといって差し支えないと思います。ところが、小説の翻訳において一番厄介なのが、そのような地域性、特有な文化なのです。

次に、産業翻訳の材料を考えると、明らかに地域性はひくく、一般性が高まります。すなわち、自動車はどこの国で作られていても、ほぼ構成要素、技術は本質的に同様であり、法律は国によって違っていても、抽象的な内容であり、どこの国民にも少なくとも理解できるものです。物理、化学、数学といった分野に関する文書になれば、さらにその抽象度、一般性は高まり、翻訳は容易になるといって差し支えありません。

したがって一般的には文学の翻訳は相対的に困難、産業翻訳は容易と言えるわけですが、産業翻訳の問題点は、用語の特殊性と、内容の複雑さがあって、正確な翻訳には、翻訳者の専門分野の基礎知識が要求されます。特に、日本語から英語に翻訳する場合、日本語本来のあいまいさに対して、数と冠詞の選択にうるさい英語とを的確に適合させることは不可能に近いことがしばしばあり、あいまいさを補うために専門分野の基礎知識が必要になります。その点では、文学は本来、一般常識さえあればだれでも楽しめることができるはずですから、翻訳の上で一般的には専門分野の基礎知識は必要とされません

以上の分析からおわかりのように、文学の翻訳の場合、翻訳された作品の読者に原文に含まれる、地域、民族、文化の背景に関する知識がないために、それをどうして的確かつ簡単な表現で伝えるかという負担が翻訳者にかかり、一方、産業翻訳の場合には、内容が高度である場合に、専門知識を持つことが翻訳者に求められます。後者の場合、たとえ翻訳者に一つの分野の知識があっても、すべての分野において専門知識を持つことはもちろんあり得ません。

というわけで、一般的に、理想的な翻訳は不可能なのです。現実的な対策としては、訳注をいれて、用語の意義を補ったり、専門的な文書については、校正者に専門家を起用して翻訳を訂正するしかありません。しかし、すべての翻訳においてこのような、手段をとることは、翻訳の目的、用途、経費や時間的な制限などから、無意味であったり、不可能であったりします。したがって、現実的には、どこかで妥協をせざるを得ません。「翻訳は多くの場合、妥協の産物である」と私が申し上げるのはこのような意味です。

ここまでは、あらゆる翻訳を視野にいれて論じてきましたが、ここで問題を産業翻訳に絞り、産業翻訳に特有な問題をひとつずつ掘り下げてみることとします。

(1)専門知識
産業翻訳者は外国語だけを勉強した者か、言語以外の一分野の専門家であるかに大別できると思います。原稿は一般的にあらゆる分野にわたっているために、上記の後者が自分の専門分野だけを選択受注する場合を除けば、産業翻訳者は一般的に原稿が属する専門分野の素人であると考えて良いでしょう。また、たとえある分野の一般的な専門知識があっても、特殊性は常に存在するため、たとえば翻訳者が機械技師専門家であるからと言って、機械に関する原稿の隅々まで理解し、間違いのない翻訳ができると思うのは早計です。この場合、たとえばラテン語系言語間のように、文法や、文章の構成が似ている場合は、内容が理解できなくても、単語を置き換えるだけでほぼ間違いの無い翻訳ができるかも知れませんが、英語と日本語の間では、ある程度の内容の理解なくしては、翻訳はかなり困難です。最悪の場合は単語と構文だけに頼って翻訳することになり、その場合には、大きな誤訳を避けるため、できるだけ原文に近い翻訳をせざるを得ません。これが直訳すべき場合の第一のケースです。

(2)文章構成―長いものは長く
原文の中には時によって大変長い文章があります。洋の東西を問わず、理解しやすいという点からすれば、文章はあまり長くしないと言うのが通則であることは誰しも異論の無いところです。ところが、たとえば米国の弁護士が書く不動産賃貸契約書などの中には、一ページ全体が一つの文章であると言うものも少なくありません。これは、英語には関係代名詞とか関係副詞といった便利なものがあり、これによって長い文章が比較的容易に組み立てられるからです。一部の翻訳者の中には、このような文章は、短文に分解すべきであると主張する人もいます。その理由は長い文章は理解しにくいからであろうと思います。ではなぜ原文は長いのでしょうか。それは、論理的に一つに組み立てることが、法律家の目からして必要だからではないでしょうか。彼らとて、短い文章の方が理解しやすいことは承知しているはずです。また、英語で書かれたそのような文章が、英語を母国語とする者なら、だれでも容易に理解できるものでしょうか。とてもそうとは思えません。では、なぜ、翻訳に際して、短文にしなければならないでしょうか。また、原文にそのような長い文章にすべき必然性があったとすれば、翻訳された文章にもそれは反映させることが、正確な翻訳ではないでしょうか。これが、文章の長短に関する、直訳でなければならないという、私の主張です。

(3)紙背を読むなかれ
翻訳者の中には、原文に明示的に表現されていないことを、自分の解釈に基づいて、翻訳に追加することによって、良い翻訳になったと思うひとがいます。たとえば、「自動車の電装技術の進歩」という言葉が原文にあったときに、これを英語にする際に、GPSによるマップ表示や車内搭載型移動電話の技術と捉えて勝手に言い換えることが、その一例です。それらの技術も重要かも知れませんが、原文の著者は、エンジンの電子制御、とくにエミッション抑制技術を考えていたかも知れません。このように、明示されていないもの、すなわち、紙背に潜むものを読むことは翻訳者として、慎むべきであり、それを犯して得意になることは、Seidensticker教授のお言葉でも「偽造」に当たります。すなわち、これが、私の直訳の薦めの一つです。

次回はさらに直訳が望ましい理由を探って行くことにします。

望月 稔 Port Washington, NY