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Updated 2003-02-13
直訳主義
by 望月 稔

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編集の女性におだてられた、常におだてられやすい私が、やや揶揄をこめ直訳主義と題して書いてみます。とは言うものの、自らchokuyakistと日頃から名乗っている私としては、かなりまじめな意味で直訳主義を唱えておりますので、その所以については読んでいただくうちに、同意していただけるかどうかは別として、少なくとも言わんとしているところは理解はできるよと言っていただけるところに到達するように努力してみます。一般に直訳と言えば、「なんだ、この翻訳は。まるで直訳じゃないか」と言うように、下手な翻訳の代名詞となっていますが、へそ曲がりの私は敢えてそこをついてみようと言うのです。うまく行きますかどうか、まずは始まり、始まり。納得が行きましたら御代はお帰りに。

ニューヨーク市のアップタウンもかなり北のはずれに近い114-120丁目にかけて、存在しているコロンビア大学においでになったことがありますか。もう少し北に行くと皆さんご存知のハーレム地区といったあたりです。この大学と私は何の関係もありませんが息子が高校生のころ、その理学部で行われていたサイエンスプログラムに参加していたため、週に一度通いました。息子は結局、理系には進まず、大学も別の大学を選びましたが、息子の送り迎えのたびに、コロンビア大学の図書館*とその前庭のなかなかな眺めを楽しませていただきました。ところで、この大学には日本人にとって大変有名な二人の教授がいらっしゃるのはご存知ですよね。そうです、Donald Keene, Shincho Professor Emeritus, Japanese Literatureと Edward Seidensticker, Professor Emeritus of Japanese Literature です。数年前、ニューヨークの日本クラブでKeene教授をお招きして、お菓子とお茶をいただきながら、お話しを伺うという会があり、私も入場料を払って参加しました。同教授のなぜ日本語を勉強するようになったかというあたりの興味深いお話(実はその点では後に述べるSeidensticker教授とほぼ同じです)もさることながら、英国人Arthur Wailey (1889-1966) による源氏物語を初めて読んだとき、その美しさに涙が溢れ、身が震える思いであったとおっしゃったのには驚きました。翻訳された文学でそのような感動を受けることは私には考えられないからです。どうしても意地悪な見方をしたがる私は、講演のあとの質疑応答のなかで、(同僚であり、同じく源氏物語を訳された)Seidensticker教授についてどういう方か少しお話いただけませんでしょうかと、質問する誘惑を振り切ることができませんでした。Keene教授は穏やかな表情で答えてくださいましたが、源氏物語について再度触れることはありませんでした。(先生、その節は大変失礼しました。)

(*注 Low Memorial Library. 現在は図書館機能はなく、講堂などとして使われているようです。)

このお二人については、同じ翻訳者といっても、先生と呼ぶのにまったくふさわしい方々(当然ですよね、大学の名誉教授でいらっしゃるから)ですが、われわれ同業の産業翻訳をやっている輩が、お互いに先生と呼び合っているのは見苦しいですね。なかには、ご自分の基準に従って、だれは先生と呼ぶがだれは呼び捨てなんて、器用なことをする人もいますが、要はご自分が先生と呼ばれたいがためでしょう。でも、若い女性に茶髪が出始めた頃は、なんて馬鹿なことをするのかとあきれ返っていた私でも、最近のように右をみても、左をみてもリッパな純東アジア系のお顔の女性が茶髪や金髪混じりという状態になってくると、もう気にならなくなっていますから、産業翻訳先生もそのうち気にならなくなるのかな、とも思っております。閑話休題。

ところで、お二人の名誉教授がなさっているのは、古典から明治・大正頃までの日本文学の翻訳で、私が現在の生業としている産業翻訳とは、様々な点でかなり異なることには皆様ご存知のとおりです。当然、一方の熟練者が他方の仕事について理解を持つことは、まず不可能です。ところがです。なんと、日本で正月を終えてアメリカにもどる機内で見つけた、JALの機内誌Winds(January 2003)に、Seidensticker先生の大変興味ある紹介記事があったのです。(JAT-listをよく読んでいらっしゃる方はこの件に関する小生の投書がお目にとまったかと思います。) 私の目を引いたのはそのタイトルがDirect Translatorとあったからです。中を読みもしないで、私の目は、小太りの教授の写真とタイトルの間をいったりきたりしていました。(なぜって私はDirect Translatorを直訳して「直訳翻訳家」と思い込んでしまったからです。今では記事の記者の言わんとする意味は違うのかも知れないと思いますがまだ理解できないでいます。)どうして文学の翻訳者が、私の主張する直訳主義のお株を奪おうとするのか、理解できませんでした。(同記事は、同教授が第二次世界大戦中に海軍の語学学校で日本語の集中訓練を受け、1945年9月、すなわち終戦直後に佐世保に進駐軍の将校として来日し、何年か後に再度来日、1962年まで東京におり、東大の大学院の学生であると同時に上智大学で教え、そのとき翻訳を始めたこと、主として谷崎潤一郎と川端康成の小説を翻訳し、その後源氏物語を翻訳したことなどを紹介しています。)私が注目したのは次のくだりです。(JATの担当の方が著作権については交渉中であるとおっしゃるので、多分問題はなかろうと高をくくってそのさわりのところをここにコピーします。)

"I stay as close to the original as I can, but for me it is very important for the translation to read smoothly - in other words, to have a certain literary quality. And that means very frequently in matters of small detail departing from the original. A literal translation cannot be a very literary translation. But I stay as close to the original as I can. My theory of translation is that it is imitation; it is counterfeiting. And the counterfeiter who makes George Washington on the dollar bill look handsomer than he was is not a good counterfeiter. There has to be a spiritual bond between the translation and the original work. But if someone tells you your translation is better than the original, you should consider it an insult because that is not what you're supposed to be doing. You are not supposed to be improving."

実に面白いですね。Literal translation (直訳)ではいけないと仰りながらも、できるだけ原文に近い翻訳をするよう心がけると仰り、さらに、原文より良い翻訳にしたなどと言うのは翻訳家の風上にもおけないと言われるのですから。実は、私の直訳主義の意味はまさにそれなんです。また、翻訳とは偽造だと大胆に仰りますが、これについても、私が常日頃、Translation is an art of approximationと言ってきたことと、ほぼ合致します。その心は、私に言わせれば、職業としての翻訳において、翻訳は多くの場合、妥協の産物であると考えるからです。産業翻訳とはかかわりのない文学翻訳の大家であるSeidensticker教授の発言ですが、大いに共感できる言葉だと思いました。

次回は、私の直訳主義について、もう少し具体的かつ詳細に、私の生業としている産業翻訳においてそれが何を意味するか、また、なぜそのような主張をするかについて述べてみたいと思います。

望月 稔 Port Washington, NY